私が敬愛する執行草舟先生は、戦後の日本は「幸福病」「成功病」「健康病」に憑りつかれていると述べています。
この言葉がずっと頭の片隅にあり、折に触れて「しあわせ」について考えていました。
「人間はしあわせになるために生きているのだ」と書かれているいくつかの本に触れも触れました。
執行先生からすれば幸福病に基づく考えなのでしょうか。
日々のしあわせな状況に感謝はしていますが、もっとしあわせになれるのではないかと考えることもあり、そのこと自体が、現状がしあわせでないことを認めているようで、心地よい気持ちではありませんでした。
10年近く前に事務所を立ち上げ、早々に作成した経営理念は「当事務所は、私たちに関わる人々を幸せにするために存在します。」です。
当初は、本音と綺麗ごとが半分ずつで標榜していたものですが、目の前のお客様が喜んで下さったり、「安心しました。」とのお言葉を頂くと、やはり人が喜んでくれることが仕事のやりがいだと実感し、掲げた経営理念が腑に落ちて、そこからは愚直に実践したつもりです。
冒頭の執行先生は、「自分は不幸でも構わないとの心構えで生きている。」と仰っています。その発言に対しては、「その心構えで生きればしあわせになれるのですか?」との質問も受けるようです。先生は、その質問こそ、幸福病に憑りつかれているものだと看破されています。
以前、「ほめ達」こと西村貴好さんのラジオから「しあわせは、なるものではなく、気づくもの」との言葉を頂きました。
本日時点で、私がしあわせについて思うことは、
しあわせは、自分に求めるものではなく、他者がそうなるように願い、行動すること。
自分はしあわせでなくても構わないとの心構えで生きるが、しあわせに気づける人間になるべし。